創業70周年

History創業からの想い

Interview社長インタビュー

誇りを持って鉄道のあたりまえを
力強く支え続けるために

Kamuro Hirotaka
代表取締役社長 禿 裕隆

誇りを持って鉄道の
あたりまえを
力強く支え続けるために

社長の話している姿の写真
Kamuro Hirotaka
代表取締役社長 禿 裕隆

子供の頃から電車好きで、仕組みが知りたくて分解ばかりしていました。
電気関係への興味から理系に進み、大学院では音声認識の研究に没頭しました。

ー どんな子供時代や学生時代を送られましたか。
子供の頃から、父である先代の社長の仕事を見てきたからか、自然と電車に興味が湧き、電車のおもちゃをバラして遊んでいました。様々な部品が中に付いているのを見て、どんな理由で動くのだろうと思いながら分解していました。ある時、それが高じて近所の配電盤の中が気になり、スイッチをいじっていたら停電してしまって思いきり叱られたことがあります。中学生の頃から数学が好きだったこともあり自然に理系へと進み、特待生として入学した山梨にある駿台甲府高等学校では、3年間寮生活で自然豊かな甲府盆地で過ごしました。電気関係が好きなこともあり、千葉県野田市にある東京理科大学理工学部電気工学部に入学、大学院では集積回路に関する好きなテーマを選べたため音声認識の研究をしました。父の仕事は子供の頃から認識していましたし、電車も電気関係も好きでしたが、特に「将来、会社を継いで欲しい」という話はなく、友人や教授など環境に恵まれ好きなことに没頭できた学生時代でした。
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NECでは衛星通信などのシステム設計に携わり、よく海外出張に行きました。
スウェーデンで高低差のある湖を船で移動したことが印象に残っています。

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ー 初めに就職されたNECではどんなお仕事をされていましたか。
アマチュア無線好きの叔父の影響で「無線」に興味を持ち、無線通信に強いNECに入社しました。NECでは、衛星通信や地上マイクロ波通信に関するシステム設計に携わり、また、マルチメディア通信規格に関する世界的な動向について調査したりしていました。当時は日本国内より海外に需要があったため海外出張に行く機会が多く、欧州を中心に会議への出席や現地試験の立ち会いなどをしていました。100時間労働は当たり前で過酷な環境ではありましたが、好きなことなので頑張れたのと、海外出張を通じて貴重な経験ができたことは財産となっています。特に印象に残っているのはスウェーデンで、トナカイの肉を食べたり、現地のご家庭を訪問したりしました。スウェーデンにはたくさんの湖があるのですが、それぞれ水面の高さが違うので船で高低差を調整する場所を通りながら移動するのがおもしろかったです。「出張を行くときは休み時間を楽しめ!」いう上司の言葉通り色々と楽しませてもらいました。

興國車輌では、電気工事班の技術者としてゼロからスタート。
経営に携わる部署へ移動後は、夜間学校に通いながら経営を学んでいました。

ー 興國車輌に入社後、社長に就任されるまでことを教えてください。
28歳の頃、父からそろそろ興國車輌に入社しないかという声がかかり、NECでの仕事も区切りがついたので入社することになりました。電気関係に精通していたため、初めは電気工事班に所属しました。現場の技術者としてゼロからのスタートでした。仕事は図面通り配線結線することですが、元設計屋の私にすれば、何故このような配線図になるのだろうかという疑問を持ちながら配線していたのですが、結線ミスによる不具合があってならず、いかに図面通りに仕上げることが大事かを学びました。社長となった今でも、技術者としての現場での経験がとても役に立っています。その後、事務職となり、今までの技術職とは違う、全く携わったことのない経営に関わる仕事をすることになりました。あまりにも知識がなかったので、仕事の傍ら夜間学校に通い、簿記、社会保険労務士、中小企業診断士など経営に関する簿知識習得に励みました。どの分野も経営には必要不可欠なものばかりでした。
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従業員が迷わないように、組織の改変は少しずつ行います。
技術者の育成はOJTが基本。要となる作業が発生したらチャンスを逃さず継承しています。

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ー 社長が目指す組織づくりで大切にしていることは何ですか。
中小企業の強みは即戦力なのですが、急な変更には混乱をきたすもとになります。そこで、従業員が迷わないように、現状の業務や需要に見合った組織作りが大切です。一度に全てを変えてしまうのではなく可能なところから少しずつ変えていくように心がけています。実際に昨年8月に一部の職場において組織の見直しを図りました。今後予定される工事や検査を見据えつつ、その技術力を確保するため、組織の改正を行いました。様々な工事を抱える中で、技術力の維持は大切になってきます。一つでも欠けてしまうと指定された納期に間に合わなく恐れがあり、当社にとって死活問題となります。それにはOJTしかありません。いろんな作業がありますが、要となる技術が求められる場面は少ないので、そのチャンスを有効活用して技術を継承しています。これからは、技術者一人一人が、どんな部署の仕事もできるようになって、よりフレキシブルでチームワークを生かした対応力のある組織を目指したいと思います。

先代の「ゴーイング・コンサーン」という言葉を胸に、
電車の安全輸送という大きな使命をもって、発展を継続していくことを目指しています。

ー これからの興國車輌が目指すものは何ですか。
先代からの言葉で「ゴーイング・コンサーン(going concern)」という「企業は常に成長し続けるものだ」ということを何度も言われてきたので、「興國」という社名を背負っている以上は引き継いでいかなければならないと思っています。日本の基盤を支えることは誇りでもありますが、責任の重さは常に感じています。一つ機械を付ける作業にしても、ドアの開閉一つにしても、間違いは許されません。目覚ましい経済成長がない日本ですが、当社では限られた作業の中で、電気・塗装といった区切りをなくし、1人ひとりがオールマイティな技術を身につけることで、視野を広げ柔軟に対応できる技術者となり効率を上げていきたいと思っています。また、近年は災害やウィルスなどもあり、危機管理については常に考えるようになりました。これからも、電車の安全輸送という大きな使命をもって、会社と従業員とともに発展を継続していくことに力を尽くしていきたいと思っています。
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大きな決断は直感で決め、辛いことがあっても気にしません(笑)。
従業員の皆さんには、初心を忘れず目標を持って楽しみながら成長して欲しいですね。

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ー 従業員の皆さんに向けてのメッセージをいただけますか。
まず、簡単なことでもいいので小さな目標を持って欲しいと思います。従業員の皆さんは様々な思いや憧れを持って入社してきたかと思います。成長していく過程で様々な困難があろうかと思いますが、そんな時は、入社当時の気持ちや目標を思い出せば、乗り越えることができると思います。私も今まで色々な辛いことがありましたが、「気にしない」ことにしています(笑)。だいたい1週間くらい経つと忘れてしまいます。B型だからでしょうか。また、経営者として時に大きな決断を迫られることがありますが、そんな時は、最初の直感の答えに従うことが多いですね。もちろん、家族や友人にも相談しますが、結局、自分の直感に従ってうまくいくことが多いですね。何より、従業員の皆さんには先輩や同僚など仲間がたくさんいます。皆で乗り越えたときの達成感は忘れられないものになろうかと思います。そして仕事や趣味に遊びに、毎日を楽しんでください!これからの成長に期待します!!

趣味について恐竜好きの子供たちに影響され福井旅行がブームです

サラリーマン時代には数多くの海外出張を経験したためか、旅行に行くこと、そして現地での食事を堪能することが好きです。学生時代に水泳をやっていたこともあり、海外でスキューバダイビングの体験もあります。今は妻と2人の子供がいるため遠出はできませんが、近場の温泉地や食事の美味しい場所に行くのが楽しいです。最近、子供達は恐竜好きなので、福井に行って美味しい食事ものを食べて1泊して帰るのがお決まりコースとなっています。その喜びが、仕事の疲れの回復の源にもなっているようです。

福井県のカニ料理の写真

President history社長略歴

代表取締役社長
禿 裕隆(かむろ ひろたか)
1969年(昭和44年)
前社長 禿 裕和の長男として兵庫県尼崎市の武庫之荘に生まれる
1988年(昭和63年)
山梨県駿台甲府高等学校を卒業
高校生活の3年間は甲府市内にて寮生活を送る
1992年(平成4年)
東京理科大学工学部電気工学科 卒業
1994年(平成6年)
東京理科大学理工学研究科電気工学専攻修士課程 修了
大学〜大学院時代の6年間は大学がある千葉県野田市にて6年間アパート暮らしを送る
1994年(平成6年)
日本電気株式会社 入社 無線事業本部に配属
衛星通信のエンジニアとして横浜にて勤務
横浜市保土ケ谷で寮暮らしを送る
1997年(平成9年)
興國車輌株式会社 入社 電気工事班に配属
車両メンテナンスの技術者として勤務
1998年(平成10年)
管理部門に配属 経営を学びながら事務職として勤務
2014年(平成26年)
興國車輌株式会社 代表取締役社長 就任